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エルゴナジーとは何か

 “エルゴナジー”を考えなくてはならない理由は今日の教育学の定義にあります。

 「教育学」はペタゴジー(pedagogy)といわれ、語意は子ども(paid)を導く(agogus)という意味であると言われています。

 また子どもの教育だけでは不十分で、生涯教育の観点から大人の教育が問題となっています。その大人の教育である「成人教育学」はアンドラゴジー(andragogy)といわれています。その語意は大人(andraus)を導く(agogus)という意味であると言われています。

 しかし、このように子どもと大人に対する教育を区別する必要はなく、両者を兼ね備えてトータルに人の教育を考えるべきだと考えます。
 またペダゴジーとアンドラゴジーは、いずれも人を導く目標が定かでありません。

 各個人の個性の発揮を考える場合、教育の先にある職業を無視することはできません。現在の日本のペタゴジー、アンドラゴジーには、この”職業”に導くという観点が不足しています。

 つまり、子どもと大人を区別せずに、職業、あるいは仕事に導く教育論を検討する必要があるのです。

 それが“エルゴナジー”(職業訓練学)です。
 物理学のエネルギーや「仕事」の単位である「エルグerg」の語源でもあるergon(エルゴン)というギリシャ語を使い、仕事(ergon)に+導く(agogus)⇒ergonagyエルゴナジーという考えです。

 「職業訓練」という語に違和感を感じられる場合は、「職業に導く教育」と考えていただいても良いでしょう。

 ここで、
エルゴナジーの定義付けをするとすれば、「個人の職業的自立を目指した、労働者と学習者の生き、働き、学ぶための学習を助ける営み」としておきたいと思います。

 近年、若者のフリーター問題、若年者の高失業率の問題、新卒就業者の高退職率の問題など、職業訓練だけを職業に導く営みと見ていては解決できない様々な問題が指摘されています。
 エルゴナジーは、ペタゴジーとアンドラゴジーを包摂するもの、あるいは広範な教育訓練問題をカバーするものと考えます。

 諸々の国際規約における職業訓練関係規定と教育規定との関係を検討してみると、こうしたエルゴナジーの視座は当を得ていると考えられます。

 エルゴナジーについてのこの考え方も、当面の研究課題です。
 研究会などを通して、議論を深めたいと考えています。





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